『ロータスプロジェクト』 、私の使命
子どもたちは皆、愛情いっぱい握り締めて生まれてくる奇跡。温もりが子どもたちに愛情や優しい心自尊心を育み、笑顔が夢や希望を与える。
すべての子どもたちに与えられて良いはずのコトが、当たり前ではなくなった今。虐待・犯罪・貧困・それを作っているのはすべて身勝手な私たち大人。
ロ-タスプロジェクトは、 『すべての子どもたちが夢をもつきっかけ作り』『笑顔になれる希望をもてるきっかけ作り』をしていくコト。
家族で遊びに行くような場所に、自分の意思で遊びに行けない子どもたちがいる。それは、家族と共に過ごしていないから。家族を失ってしまった子どもたち。行き場のない悲しみや怒りと過ごしている子どもたちがいた。
すべての子どもたちに与えられた権利があるはず。
それを叶えるのが 『ロータスプロジェクト』 私の使命。
『ロータスプロジェクト』を立ち上げるまで
2010 年私が 40 歳にして保育園を立ち上げた理由。
私が母となった 1999 年に生まれた長男の存在。当時お世話になっていた認可保育園で受けた衝撃の保育と浴びせられた言葉。
働きながら育児をする為にはどうしても必要な保育園。
私がリーマンショックというタイミングで退職することとなったことをきっかけに、働く保護者が安心して子どもを産み育てられる保育園を作りたいという思いと、『無いものは作る』という勝手な使命感だけで、息子の名をとって『ロータスキッズ保育園』という保育園を立ち上げることになります。
そしてその翌年の 3.11 に東日本大震災、そして原発事故。
私は、ただひたすら、避難されて来られたご家族の子どもたちを、第二の我が家になるようにと保育園という立場で 24時間対応でお手伝いさせていただきました。
その 2 年後の 2012 年に、三つ子の魂百までという思いで保育をしてきた私にとって、もう一つやりたかったこと。それが【木育】という子育てに木のぬくもりを取り入れる場所を届ける場所を作ること。これが現在の屋内遊び場『赤ちゃん木育広場もくれん』です。この場所は、親子で、家族で、時にはおじいちゃんおばあちゃんと、いつでも気軽に遊びに来れますので、当然、笑顔いっぱいのほっこり出来る幸せ空間です。
お父さんお母さんからも、大人が楽しめる ! と言っていただける場所になりました。
ただ、ここまでは、私が知らないが故に出来てきたコト、場所、思いなのだと思いました。
あの子達と出会うまでは。
それが、ロ-タスプロジェクトのきっかけとなります。
2015 年私は、CAP スペシャリストという児童虐待防止に関する資格を取得することになります。これは子どもたち自らの力で虐待や犯罪などから、自分の身を守り心をエンパワ-メントとしていける手段でした。その活動の一環で、ある児童養護施設へお邪魔したのです。毎年お邪魔しているとのことで、子どもたちの様子は慣れたものでした。
お邪魔した私たちは、その施設でしてはならないことがありました。それは、子どもたちに触れてはいけないこと。汚れた手、汚れた顔をしていても拭いたりしてあげてはいけない。 女の子の下着が表に出ていても、入れてあげてはいけない。かわいいリボンがほどけていても結んであげてはいけない。当然手をつなぐことも抱きしめてあげることも出来ない。
私は二児の母。いつも日常的に、普通に子どもたちにしていることを、ここにいる子どもたちにしてはいけない。「どうして?」「この子どもたちをぎゅっと抱きしめることがなぜいけないの ?」 理由は分かっています。
子どもたち自身のためでもあるということ。私たちは次いつ来るか分からないのだから。
2016 年、震災遺児孤児の子どもたちの支援をされている団体様からの要望で、もくれんの施設内でしか遊べないコトを『もくれんが行く』という形式で、もくれんキャラバン隊として出張させました。山ほどの木のおもちゃを携えて。そこで、夢中になって、こぼれる様な笑顔で遊び狂う子どもたち。震災から 5 年ですから、
一番小さい子で 5 歳になる子どもたちがいました。
私が出会ったさまざまなご縁。
『家族』という【絆】を考えさせられた 8 年間。
子どもたちは蓮の子。
そう蓮の華から生まれてくるような妖精のような。